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仕事に備えて休む? 仕事中心の価値観を見直す。

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今勤めている職場では金曜日の夕方になると、
「来週からの仕事に備えて、週末はゆっくり休んで」
と言われます。

この言葉を聞く度に自分は素直にうなずけなくて、首を傾げるような違和感を感じます。

その言い方だと、まるで仕事のために休日があるような言いぶりに聞こえるからです。

仕事の優先順位が高くて、休日はそのためにある付属物かのような。

世間的には一般的に受け入れられている言葉かもしれません。

でも自分はどうしてもこの言葉に納得できないのです。

何を生活の中心・軸として生きているのか

なぜ「仕事に備えて休む」という言葉に疑問を感じるのか。

そういう言葉を言う人と自分では、何を中心・軸として生きるのかについて違いがあるからだと思います。

「仕事に備えて休む」という人は生活の中心が仕事にあるのでしょう。

意識的に仕事が中心と考えているのか、無意識のうちにそう思わされているのかはわかりませんが。

しかし心のどこかで仕事中心に生活が回っていると思っていなければ、そういう言葉は出てこないはずです。

確かにフルタイムで働く人などにとっては、生活している時間のほとんどは仕事をしている時間です。

通勤時間や残業時間も含めれば、10時間以上は仕事に拘束されていることになります。

ですが、費やす時間が長くてもそれを生活の中心とするかどうかは別

生活の中心とはすなわち、何に重点をおいて生きていくかであって、どういうことをするときに価値を感じるかということにほかなりません。

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仕事以外のことにこそ価値を感じる

自分にとっては仕事は人生の中心ではないし、一番やりたいことでもありません

自分が価値を感じるのは、もっと穏やかで何もしていない時間だったりします。

家の中で静かに考え事をしながら、少しだけ開けた窓から入ってくる風や音を感じるような時間がとても幸せです。

もちろんもう少しだけアクティブになって公園に散歩しに行ったり、本屋や図書館をのぞいてみたり、こうしてブログを書くということも楽しいです。

仕事をすることは生活する上で大事です。仕事をしてお金を得ることで生活をしています。

だけど逆に言えば、それだけのことなんです。

誰にも邪魔されない静かな時間を過ごすことに比べたら、なんの面白さも感じない。

だからこそ「仕事のために休む」なんていう言葉を素直に受け取れないんだと思います。

自分の理想は休日は全力で自分がやりたいことを楽しんでクタクタになり、平日はその余力で仕事をすることだと考えています。

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盲目的に信じていた仕事中心の価値観

仕事中心の価値観を否定するわけではありませんし、自分も昔はそんな価値観に基づいた生活をしていました。

しかし、自分で仕事を中心とした人生を送りたいと主体的に選んでいたわけではありません。

仕事を軸にして生きなければならないと思い込んでいただけで、知らず知らずのうちにそう思わされていただけでした。

休日は次の週の仕事をするために休んで、ストレス解消をして、嫌で仕方ない平日の仕事に向かうものだと信じていました。

盲目的に仕事中心の価値観を信じ込んでいたことに気づいたとき、本当に自分がやりたいことはそういう生活なのだろうかという疑問を覚えました。

自分が生きていく上で何を大事にしていくのか。

仮に周囲が「明日も仕事だから家でゆっくり休もう」と言っていたとしても素直にうなずかず、自分にとって何を中心にして生きていくのかを見失わないようにします。

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